僕にできることを探して・・・

震災から10日目を迎えようとしています。
被災された方はもちろん、被害を免れた方、地震の影響がなかった地域の方、あるいは海外でこのニュースを知った方も含めて、それぞれの場所で、あの瞬間からいろんなことが大きくかわり、激動の毎日だったのではないでしょうか。
いまだに全容がつかめないほどの大惨事ですが、
本当に関わるすべての方に、心からお見舞い申し上げます。
僕は、ほとんど物理的な被害はなかったにも関わらず、あの日からこのブログに書くべき言葉が見つけられずにいました。
ずっと自分から逃げていたような気がします。
一早く支援の行動を起こす人、遠く離れた国から援助や応援の声、祈りを届けてくださる人、今も懸命に救助活動や原発で危険な任務にあたられている人、家族を失いながらも懸命に生きている人、そんな人々をニュースや新聞で見聞きしては、自分も何かしないといけないと思いながら、想いだけが空回りしていました。
結局、誰かの立ち上げたプロジェクトに募金することしかできない自分への嫌悪感や、ライフラインや食事もままならない大勢の人がいるのに、不自由なく過ごせる環境にあることへの罪悪感を感じたり、余震の続く中で家族と離れてまでボランティアに駆けつけることも出来ない勇気の無さや自分の弱さだったり。
そもそもあの大きな地震を知らないということでの負い目があり、そんな自分が一体どんなことをここで書けばいいのかがわかりませんでした。
僕は、あの日、中国出張の北京から日本へ帰る飛行機の中でした。
なので、僕は地震を知りません。
なんのめぐり合わせなのか、仙台で建設中のマンション物件に納品するアルミパネルの試作品確認検討のための出張でした。
マテリアルワールドの今年の仕事の中で、というよりも過去5年間で最も大きな仕事です。
もうすぐ成田というところで、地震により成田空港が閉鎖という情報により急遽ソウルへ緊急着陸というアナウンス。
ただならぬ状況であるということは察しながらも、一体何が起きているのかも分からず混乱の中、今度はソウルへは降りれないということで行き先を青島へ変更。
2時間ほどしてようやく着陸し、そこでの僅かな時間で携帯電話でネットのニュースを見て一報を知りました。
飛行機から降りることなく、最終的には北京へ戻され、深夜空港近くのホテルについて初めて事の全容を知りました。
その頃には家族とのメールも通じていましたが、情報の無い空の上では、ものすごく長い時間に感じました。
その後も、つい最近まで、知人や仕事の関係者の方ともなかなか連絡が取れる状態にありませんでした。
幸い友人や仙台の関係者の方の無事も確認できたのですが、あの日以来、仕事をしていても、どこか気持ちは上の空というか、心ここにあらずで、集中出来ない日々。
あれから10日経ち、ようやく頭の中と、心と、気持ちが整理できてきました。
本当に月並みなことになってしまいますが、
これまで当たり前過ぎて疎かにしていた命の尊さや、生きていることの素晴らしさ、電気・ガス・水道が使えることの便利さ、仲間の大切さ、互いに助け合う心の大切さなど、そんな根源的な部分でとにかく価値観、人生観のパラダイムシフトが起きたのではないかと思います。
これまで見えなかった、わかりづらかった「幸せってなんだろう」という深い部分に触れることが出来たのではないかと思います。
そして、社会における自分自身の役割分担を見つけることの意義。
人が生きていく上で担うべき社会からの任されごと、これをいかにして見つけるか。
これについても改めて腹が据わりました。
今後の東北地方、そして日本全体を復興させていく中で、建築の果たすべき役割は非常に大きいことは間違いありません。
僕はその建築分野に携わる者の一人として、これからの僕に出来ること、僕の役割、僕に課せられているはずの使命を深く見つめながら、残された僕の人生を、この分野で精一杯やっていこうと思っています。
僕一人が出来ることは本当にちっぽけなことですが、建築分野にいられる自分の幸せに感謝しながら、これから20年、あるいは30年かけてでもやっていこうと思っています。
仙台のプロジェクトも当分未定ですが、関係者の方と助け合い、必ずやイイものを造りたいと思います。
今もなお、大変厳しい状況下にある方が大勢いらっしゃいますが、とにかく頑張ってほしいです。
これから僕も自分のできることで、少しでもみなさんのお役に立ちたいと思っています。

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