WTC(ワールドトレードセンター)が崩壊した史上最悪のテロ911から丸6年。今でもあの時の衝撃的な光景は深く僕の心に残っています。
僕はその時ニューヨークに居た訳でもなく、ただテレビに映し出される光景を見ていただけですが、あまりにも混乱して事態がよく理解できず、「とうとう世界戦争でも始まってしまったのか?」とひどく慌てて、実家に電話したほどでした。
昨年の9月11日はグランドゼロで追悼式典がありましたが、ちょうどビジネスセミナーの開催に合わせてニューヨークに居た僕は、当日の朝、グラウンドゼロにいました。早朝から亡くなった全ての方の名前を読み上げて行くのですが、ペンタゴンやユナイテッド93便も含めると約3000人という犠牲者、その式典は延々と続いたのでした。
僕はこのブログでも写真を沢山載せていますが、この場所に立つと、何故だかシャッターを押す気にはなれません。何故だか言葉を失ってしまう場所です。何故だろうと良く考えると、沢山の方が理不尽な死をむかえたということもあるのですが、WTCという巨大なツインタワーがここにあったはずなのに、まったく跡形もなく無いという途方もない空虚感と絶望感にさらされるからではないかと思っています。
WTCの設計士の一人にはミノル・ヤマサキさんという日系2世の素晴らしい建築家がその名を連ねています。ツインタワーは当時マンハッタンのシンボルでもあり、歴史に残るビルだったと思いますが、日本人がそれを設計していたということを知り、それだけで誇らしい思いがするのは僕だけではないと思います。
この911テロに限らず、これまで人類の犯した戦争やテロといった行為によって、人の命は言わずもがなですが、同時に世界中の素晴らしい建築物や街並みが無残にも姿を消しているということを思うととても残念でしかたありません。
僕は、ちょっとおかしなことを言うようですが、建物にも「命」があると思っています。建築はそれ自体が言葉を発しませんが、その場所にあり続けるという使命を持ってそこに意味を持って誕生したものだと捉えています。
古い話ですが、僕は大学の卒業設計で、「サイレントワーニング」(無言の警告)という作品を作りました。
福生にある米軍基地の滑走路のまさにその場所に、戦争によって無くなった建物の追悼の場として、もう軍事を目的とした飛行機の離発着はさせないという平和への願いを込めて、ランダムに、かつ時間軸に従って様々な施設、建物を配したのです。当時、学校推薦を受けて銀座のポケットパークでも展示されました。
その当時から、僕の根底にある建築への愛着というか想いは変わっていません。戦争やテロによる破壊行為に限らず、経済先行で頻繁に繰り返されるスクラップアンドビルドについてもどうかと思っています。渋谷駅周辺なんて、ほんの数か月も行かないと新しい建物が増えていて、「あれ、前ここなんだったっけ?」なんてことが日常茶飯事です。
話がいろいろと脱線しましたが、
建築に携わる者の一人として、今日のこの日に改めて平和であることの大切さと、次の世代に少しでも素晴らしい建築を伝え残していきたいという思いを新たにしています。
東京の今日の天気は、まるで熱帯地方のスコールのような土砂降りですが、それは言葉を発することなく崩れていった建物たちの涙なのかもしれませんね。